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伝統芸能

PERFORMING ARTS

水戯庵では、能や狂言、日本舞踊をはじめとする
伝統芸能が毎日繰り広げられます。
この舞台には、能五流、能楽囃子方各流派、
狂言二流のほか、
京舞井上流、日本舞踊花柳流、藤間流、
琉球舞踊宮城流、文楽や雅楽、
華道家元池坊といった、日本の伝統芸能を代表する
各流派が日替わりで出演いたします。
今まで伝統芸能に触れたことの無かった方も、
水戯庵で本物の伝統芸能の素晴らしさを
是非ご体験下さい。

能楽

観世流

観世流は、南北朝時代より大和の結崎(ゆうざき)(現・奈良県磯城郡川西町)を本拠地にしていた大和猿楽結崎座を源流としており、そこに属していた観阿弥清次(1333〜84)を初代とします。能楽は、観阿弥とその子・世阿弥(1363?〜1443?)の親子によって大成され、さらに京都に進出し、当時の将軍・足利義満の寵愛を受けて大きく発展しました。現在の宗家・観世清和師は26世になり、銀座・観世能楽堂(http://kanze.net)を本拠地としています。

宝生流

宝生流は、奈良県桜井市の外山(とび)(現・奈良県桜井市)を本拠地にしていた大和猿楽外山座を源流としています。宝生家に伝わる系図では、流祖は観阿弥の子・蓮阿弥重英(しげふさ)(?〜1468)とされ、現在の宗家・宝生和英(かずふさ)師は20世になります。観世とは室町時代から縁戚関係にあり、芸系も近く、観世・宝生を合わせて「上掛(かみがか)リ」と呼ばれています。本拠地は水道橋・宝生能楽堂(http://www.hosho.or.jp)です。

金春流

金春流は、奈良県の竹田郷と呼ばれた土地(現・磯城郡田原本町西竹田付近)を拠点としていた円満井(えんまい)座(竹田座とも)を源流としており、大和猿楽四座のうちもっとも歴史が古いとされています。系図では、流祖は聖徳太子時代の秦河勝とされており、現在の宗家・金春憲和師は81世になります。その芸風は、謡も型も古い様式を随所に残した、最も古風なものと言われています。

金剛流

金剛流は、奈良県の坂戸郷と呼ばれた土地(現・生駒郡平群町付近)を拠点としていた坂戸座を源流としています。流祖は坂戸孫太郎氏勝(1280〜1348)とされており、現在の宗家・金剛永謹(ひさのり)師は26世です。金剛流は他流にはない豪快な型を持つ等独特の特徴を持ち「舞(まい)金剛」と呼ばれるほか、優れた面・装束を多く所蔵することから「面(おもて)金剛」とも呼ばれています。本拠地は京都・金剛能楽堂(http://www.kongou-net.com)です。

喜多流

喜多流の流祖は、北七大夫(しちだゆう)長能(おさよし)(1586〜1653)とされています。彼は堺の眼医者の子でしたが、幼少の頃から能が上手く、7歳で能《羽衣》を舞ったことから「七ツ大夫」と呼ばれ、豊臣氏の後援により金剛座に加えられました。豊臣氏が滅びてからはしばらく逼塞していましたが、やがて徳川家康の一声により復帰し、さらに徳川秀忠の強い後押しによって、元和5年(1619)に喜多流として一流の創設が認められました。本拠地は目黒・喜多能楽堂(http://kita-noh.com)です。

狂言

狂言には現在、大蔵流と和泉流の2流があります。大蔵流は古い歴史を持つ流派であり、もともと金春座付でした。系図では、南北朝時代の学僧・玄恵法印を初代としており、現在の大藏彌右衛門師は25世宗家になります。和泉流は、室町時代中期の坂本(現・滋賀県)の隠士・佐々木岳楽軒を流祖としており、流儀が確立したのは、慶長19年(1614)に7世山脇和泉元宜が尾張徳川藩に召し抱えられた頃と言われています。

囃子

能楽の囃子(はやし)は、舞台に向かって右から順に笛・小鼓(こつづみ)・大鼓(おおつづみ)・太鼓(たいこ)の4つから構成されます。現在、笛には一噌(いっそう)流、森田流、藤田流の3流、小鼓には幸(こう)流、幸清(こうせい)流、大倉流、観世流の4流、大鼓には葛野(かどの)流、高安流、大倉流、石井流、観世流の5流、太鼓には金春流、観世流の2流があります。

日本舞踊

井上流

井上流は京都固有の特色を持ち、上方舞の中でも「京舞」と呼ばれています。初世井上八千代(1765~?)が近衛家の舞指南役を勤めた後、宮廷文化を基盤に創始しました。さらに、2世(1790~?)が人形振りを新たに取り入れ、振り付けは能の影響を残して井上流を確立しました。3世(1838~1937)の時代には、今でも京都の年中行事となっている「都をどり」の振り付けがはじまりました。5世八千代の現在も「都をどり」の振り付けと芸舞子の指導を受け継ぎ京文化を支えています。

西川流

日本舞踊は主に大きく五大流派に分けられますが、その内の一つに西川流は数えられています。中でも最も古い流派の一つであり、初代生誕から三百余年の歴史を有しています。歴代の宗家扇藏は、江戸三座の櫓付振付師としてその名を轟かせました。特に二代目は「関の扉」「戻駕」など天明期の有名な古典舞踊の名作を次々と振付をし、今日に数多くの作品を伝承しています。四代目は「勧進帳」他を、五代目は「乗合船」等の振付を行い、門弟にも優れた人材を数多く輩出しました。その後世間の栄枯盛衰の例に漏れず、徐々に一時の勢力は衰えてしまいましたが、現十代目宗家が再興し、五大流派の名に恥じない現在の隆盛へと導きました。

藤間流

藤間流(ふじまりゅう)は日本舞踊における流派の一つ。日本舞踊における五大流派の一つに数えられる。18世紀初頭に振付師の藤間勘兵衛が創流し、今日では「家元」勘右衞門派と、「宗家」勘十郎派の二派に大別される。歌舞伎の振付として、舞台映えする大らかな振りが特徴。

勘右衞門派
弘化2年(1845年)、初代藤間勘右衞門が創流。初代藤間勘右衞門は、元歌舞伎役者。長唄の歌い手だった父・富士田勘右衞門の名を名跡とした。二代目藤間勘右衞門は、初代の子。明治時代に振付の名人として知られた。三代目藤間勘右衞門は、二代目の養子。歌舞伎役者の七代目松本幸四郎。四代目藤間勘右衞門は、三代目の三男。歌舞伎役者の二代目尾上松緑。
五代目藤間勘右衞門は、四代目の長男。歌舞伎役者の初代尾上辰之助(歿後、三代目松緑を追贈)。
現六代目藤間勘右衞門は、五代目の長男。歌舞伎役者の四代目尾上松緑。

代地 藤間家について
「代地(だいち)」とは、二代目勘右衞門の高弟、藤間勘八を祖とする一門の通称。勘八の養女藤子、藤子の養女蘭景、蘭景の実子蘭黄と4代続く。

水戯庵
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